死ベースの人間たち

よく、twitterやみあかの人は「自分なんていなくてもいい」どうちゃらこうちゃらというので
別にあなただけじゃなくて、みんな誰もがみんなお互いを必要としてないですよっていう真実を伝えるんだけど、そもそもがおかしい人達しかいないので曲解して「やっぱり自分はいらないんだ!」っていうメッセージだけを取捨選択するのでうんざりしますね。
さっさと死にゃーいいし、死ぬくらいの努力を見せるんだったらなかなかみどころがあるなって思うんですがそんな度胸もないんだから。
ていうようなことをいうと垢バンされたり殺人教唆になってしまう世の中なのでめんどくさいなーと思うわけです。mixi時代はなかなか楽しかった。
死にたいっていう人はいっぱいいるので死ねや!っていうといろんな反応が見られる時代でした。
まぁ、結局はそんなつもりはからっきしないっていうことがわかっただけなんですけどね。


とにもかくにも人の最初には産まれるがあって、最後には死しかない。
と、通常の人は考えるけど、最近としをくってきたせいか死の後にも道は続くなぁと思うようになってきた。
人の終わりは死ではなく、その後もサステインする。
葬式や後片付けやはかもりみたいな物質的なものだけでなくて、概念的なやつ
っていうところを考えると死にたいっていってるやつはそのへんも考えているのか、というか考えていないし、今生きている意味もあんまり考えてないんだろうなーと思われるので、どーしようもないやつらばっかりだなーと思うわけです。