美しさを醸し出すリビドーとはなにか

ということを各方面にコメントしてて思った。


我々は生死について考えることが普段あまりない。
あるかもしれないけど、「明日、確実に死ぬ」ということはほとんどない。
きっと明日も俺は生きているし、あさってもしあさってもやのあさっても生きているという気がする。確実にそんな気がする。統計学的に見て。


だからいざ、死ぬ、となったら明確な意思をもってそれを目指さないといけない。
だから仮にも美しく見えるのではないかなと思った。




で、これが逆だったらどうか。
ここがニッポンではなく、銃弾が昼夜問わず飛び交い、食料の調達も困難。
さらに周囲の人間は3分の1くらいは死に至る病原菌に犯されている。
明日といわず、あと数時間、数分で自分の命はないかもしれない。
数秒たったら俺の脳は停止し、心臓も停止し、おそらくそのままほっとかれて細菌が自分の死肉を変色させ、腐臭を放ち、蝿がたかり、蛆が涌き、ネズミや蟲に体を八つ裂きにされるかもしれない。


そんな中で生き抜く、ってことは美しいんじゃないかね?わからんけど。
そんな絶望的な状態で明日の希望とか将来の夢を語る、とか。
ガリガリに痩せたアフリカ系のもうすぐ死にそうな黒人少年が「将来は医者になってみんなを救って家族にいっぱい幸せになってほしい!」っていうような。