音楽と文化を考察する

たとえば、その国の楽器、シタールを買ったとしてもタートは奏でられない。
三線を入手してもカチャーシーはできない。
逆にそれらの楽器でメタルやクラシックを奏でることは可能である。だけどどれもちぐはぐだ。
音楽は文化がなければ発生しない。
文化というのは人間の共同体。政治や奴隷や民族などなどそれらをひっくるめて翻弄されまくっている人達が寄り合って形成されるものである。
音楽が存在するところには必ず文化がある。
逆はあんまりなさそう。
聾唖者コミュニティとかもそうかもしれんけど、日本近辺では文化があっても音楽が存在しないことはありそうだ。


そんな感じで、文化がなければ音楽に魂は備わらない。
その地方で採れるもの、入手できる素材を楽器にした人々がいる。
その人達はどういう人達なのか。抑圧されて下克上を狙っている人達なのか。
あるいは貴族階級で労働者を使って権力を拡大するような人達なのか。
そのコミュニティに所属するユーザーがどんな個人だったのかということを知らなければ、音楽を知ることはできない。


なおかつ、彼らには決してなれない。
ヒップホップをやろうとしてもアジア圏ではなんか、違う、というのと同じ。
こちら側の人間は人種差別や民族差別は存在しないし音楽をやらなければヤクザになるしかないとかいう人々ではない。
朝鮮人とかは近いのかもしれないけど彼らは甘えてるしだいぶ優遇されている。
黒人奴隷をルーツにもつ人々はそうはいかない。
地方の非共産党の中国人も似た境遇かもしれないけど、彼らは政治の力が強すぎてコミュニティを持てなさそうだし、音楽どころの話じゃなさそうだ。
ある意味、共同体はあっても音楽がない例なのかもしれない。人種の差なのかもしれない。



彼らにはなれなくても同じ境遇に身をおくことでなにかが生まれるかもしれない。
仮想的な世界で政治や派閥があってそれに所属するなにかがあれば。
ソシャゲとかネトゲではよくみられるけどどうなのやら・・・
tiktokに、派閥の要素を取り入れたらなにか発生するのかもしれない。


とりあえず音楽による戦闘を見てみたいね。
音楽は世界を救わないというのはだいぶまえから言ってるけど
言語の通じない民族同士が意思疎通のために音楽を使ったというように、
そういったコミュニケーションの手段とはなりえるし、
それによって戦いをするというのは、なれ合いではない、競争原理が働いてよいものがみれるのではないかと思う。
つまり、次の一手は音楽を作ることひいては文化を作ることが目的だ