文化レイヤの違う人々は悩まなくていい事象で悩み、悩むべき事象で悩まない


ということを明確に理解したわけ。
シャーマン信仰の部族はいくら祈祷しても病気が治らないことに悩みいろんな薬草を試してたまたまあたったりはずれたりを繰り返しているし、
バイクレースに自転車で出走しているチームは他のチームの事故などでたまたま勝ったのを美談にしたがるわけです。



コーディングスタンスとして俺は「最初は適当に書いて余裕をもたせて、なにか悩んだり障壁にあたったらその都度考えて是正していくのがよい」というコンセプトで仕事をしているんだけど、
かつてのチームの人々はあれこれ悩むんだけど「え?なんでそんなアホな実装してんの?」とか「え、そんなん俺じゃ絶対ありえないんだけど・・・」
っていうような悩みをかかえそれを解決しようと相当アーキテクチャをぶっこわしていた。(そしてそこから新たな問題が発生することもしばしば)
思えばそういうところが兆候だったのだ
彼らと俺が話す言語も使用する言語も違い、あり得ない問題を発生させありえない解決策を施す。
こうしてアーキテクチャが破壊されるのだと世界の本質を垣間見たのでした。