画家やハッ家ー

絵画というものは、写真の代替品ではない。
表現の一種である。
だからたとえそこにリンゴがあったとしてもそれを目に映ったまま模写する必要はなく、その人がどう思ったのかを表現することが絵画である。
模写というものは目に入ってきたインプットをそれっぽくアウトプットしているに過ぎない。
その行為は、たとえば音楽で言えば耳コピである。あるいは古くからおこなわれているのは動物の鳴き声を声帯模写する、などである。
そしてそれはアートの一つの側面しかとらえていないということになる。



では、コードはどうだろう。
ハッカーに一番よく似ているのは画家であるという主張があるように、ヒヤリングや仕様書などでインプットし、自分の思ったようにアウトプットをする。
仕様書の通りに動くようにすることは顧客の言い分の模写である。
そしてもちろんそれはコーディングの一側面だ。


写真と絵画はよく比較される。
そこにある事象を忠実に再現するには写真がもっとも適しているのは事実で、絵画を一側面でしか判断しない人いわく、写真があるから絵画はいらない、と言う。
しかし、俺は絵画は写真を超えるものを創造すると思う。
コードも同じ。
だから仕様書を模倣するだけのコーディングはいつまでたってもそれ以外のコーディングを超えられないのである。