SNSのその先へ

SNSのくその先へ


SNSができた技術的な背景とこれからの形を考察してみよう。
そもそもSNSmixiやらmyspaseやらができる前からあった。
DBに文字情報のみを登録するCGI上のBBSから、9.11からはやり始めたweblog、いわゆるブログがでてきた時代は個人がクソみたいなhtmlを描く"ホーム(笑)"ペェジから同じインターフェースを共有して外部へと糞トラックバックAPIで送信したりという時代だった。
この頃はperlが文字化けしまくったりDBが脆弱だったりと散々で、今みたいな大量データやシングルサインオンみたいな仕組みはぜんぜん確率されていなかった。
次第にセキュアな通信がそれなりになってきて、DB容量も増え、文字情報だけでなく、動画像やユーザーデータ、それぞれの連携情報などをDBに格納できるようになった。
プライベートなんちゃらみたいなサービスもできてネクラなクソどもがこぞってSNSに参加するようになった。
このときにはRDB全盛期でtwitterみたいなゴミを大量に扱うアーキテクチャは出現しなかった。
awsが出現し、クラウド儲かるぞ時代が到来、クソどもはこぞってクラウドという名前の巨大なゴミ箱に自社のクソ情報をひりだし、また人民はつぶやきという名前のゲロやくそを吐き貯めるようになった。
DBはRDBからNontSQLとかいうゴミはゴミらしく欠けてたりしてもいいからそれらがテキトーに見れればいいみたいないいかげんなアーキテクチャに変わり、トイレがスムーズに流れるようになった。


ではこれからはどうだろうか?
クソバイト級のデータは分散アーキテクチャによってサーバーが多ければ多いほど捌けるようになった。
もはや膨大な顧客情報を一瞬にしてミラーリングなんて楽勝だろう。
そんな中、人々は何をDBに格納するのか?


それはやはり"人生"だろう。
人がそれまでにみたもの、聞いたもの、経験のありとあらゆるデータを脳と同じくらいのいいかげんさで、どっかしらに保存するのだ。
するとどうだろう?
一人や二人の人生からはなにもわからなかったものが、数千、数万という人の行動パターンができるとしたら?
精神分析学で解析した人の心の動きよりもずっと精度が高いものができたとしたら?
きっとその人の人生の未来が見えたりするかもしれない。
あるいは、趣味や趣向、人生の方向性から最適なパートナーを見つけることも可能かもしれない。


みたいなことは20年以上前くらいから考えられてきたわけだけど、なんとなく実現していきそうな方向にある気がする。
とにもかくにも数PiBの情報をいかに迅速にヴィジュアライズできるか、ということがこれからのビジネスに必要になってきそうな気がする。